2013年10月21日月曜日

アイリスオーヤマ 大山健太郎社長


「課題の本質を突き詰める」ことから生まれた 型破りのビジネスモデル

アイリスオーヤマ 大山健太郎社長

2013/07/01



リーダーの真の資質は、目の前の課題をどう解決するかによって試される。乗り越えた課題が困難であればあるほど、ピンチはチャンスに、停滞は発展に転ずる。そのとき最も必要なものは何か。実在のケースをもとに、異次元の発想や行動力で課題に挑み、新境地を切り開いてきた時代のカリスマたちに聞く。第1回は、バブル崩壊以降の「失われた20年」にも次々と新たな需要を創造、この間の売上高を約3倍に伸ばしたアイリスオーヤマの大山健太郎社長。




Q:過去に直面した最大の課題は?
オイルショック後の"需要消滅"に直面し、いかにして世の中の変化に対応できる会社に生まれ変わるかを模索。ユーザーの不便解消という切り口から新たな市場を創造するメーカーベンダー(メーカー兼問屋)へ、大胆な業態転換を図った。

Q:現在の最大の課題は?
原価に直結する激しい為替変動を、値ごろ感を保ちながら店頭価格にどう織り込むか。事業でいえばやはり家電。


家電不況もTPPもチャンス、逆張り経営の快進撃

 アイリスオーヤマ(仙台市)は、ホームセンターを中心とした小売店およそ1万3000店に、約1万5000種類もの商品を販売する生活用品の製造卸だ。中身を探せる「クリア収納ケース」や、ガーデニングやペットブームの火付け役になった「園芸用品」「ペット用品」など、身の回りのありそうでなかったアイデア商品や新機軸のヒット商品を次々と市場に投入。近年のデフレ不況下でも売り上げを伸ばし続け、2012年12月期の売上高は前期比10%増の1100億円、経常利益は同71%増の101億円と、ともに過去最高を更新。2013年12月期の売上高も1350億円と、2割強の大幅な増収を計画中だ。







 業績の悪化から大規模なリストラに踏み切る大手電機メーカーの動きに逆行するように、家電事業の拡大を進める同社は今年5月、JR大阪駅前に家電製品の開発拠点を新設。関西大手電機メーカーの早期退職者のなかから技術者20人程度を採用したことでも話題となった。

 また、環太平洋経済連携協定(TPP)への日本の交渉参加により、海外産の安いコメとの競争激化が懸念される折、東日本大震災で被災した東北の農家を支援するため、将来の輸出も視野に、コメの卸売事業に参入。精米から配送まで低温で管理し、小分けした袋には酸化を防ぐ脱酸素剤を封入するなど鮮度の高さを売りに、ホームセンターなどの販路を活用して15年度100億円の売り上げを見込む。

 「家電不況もTPPもチャンス」と言い切る大山健太郎社長に「経営者人生で最大の課題解決」を尋ねたところ、「30歳の頃、会社が倒産寸前までいったときのことですね」。迷わず答えが返ってきた。







 大山は1945年、大阪府で生まれた。プラスチック成型品の町工場を営む父親のもと、8人兄弟の長男として育ったが、19歳のとき、父親が急逝。家族のために学業の道を断念し、従業員5人の工場を継いだ。

 「下請けで終わりたくない」という思いから22歳のとき大山は、浮きなどの水産資材や育苗箱などの農業資材のプラスチック成型品を自社開発し、主に東北地方で販売し始める。「自己資本で10年間、倍々で大きくした」と回想するように、業績は右肩上がりで伸びていった。



 1973年、オイルショックが日本を襲った。プラスチックの原料が高騰する一方で「値段が上がる前に買わなければ」という「駆け込み需要(仮需)」が発生。プラスチック製品の需要は急増し、売り上げも急伸。大阪だけでは製造が追いつかず、金融機関から資金を借りて宮城県の仙台にも新たな工場を設け、会社の規模を拡大した。19歳で継いだとき年商500万円だった会社は、74年には15億円にまでなっていた。しかし、その直後、事態は急変する。






不況でも会社を存続させることが経営者の使命

 「一時的な需要で供給体制をつくると、いずれは供給過剰になる。需要がなくなると、採算度外視でみんなが投げ売りする。専業の我々はとにかく在庫をお金に換えたい。売れば売るほど買い叩かれる。100円のものが90円、90円が80円、70円、60円と。株の世界と同じです」。75年、大山の会社は瀕死の状況だった。



 「急に売り先がなくなり、値段も下がると、回収がどんどん減る。だけど、売り上げが上がるという前提で、原料は手形を切って仕入れている。手形は4カ月後には回って来る。設備投資のために借りたお金は毎月、返さなければならない。自己資本がずずずっとなくなっていく。そんなんが1年で底を打てばいいんだけれど、2年たっても3年たっても出口が見えない。オイルショックのリバウンドは、それくらい沼が深かった」。やがて自己資本は底をつき、債務超過寸前に追い詰められた。

 大山はこの窮地をどう乗り切ったのか。「まず、支出を止めるしかない。商売すればするほど出血が増えるから、赤字の商売を止める。大阪の工場をやめて、2つあった工場を1つにしました」

 およそ150人にまで膨れ上がっていた社員の人員削減も不可避だった。社員には「申し訳ない、給料が払えない。儲からない商売をやめるんで、仕事が半分になる。だから、こらえてください」と断腸の思いで告げた。

 そういう状況下ではやはり経営者にも「血を流す覚悟」が必要なのかと問うと、大山は静かな口調で答えた。「いや、もう死ぬか生きるかだから、血を流すもどうも・・・あとは死ぬか、頭下げて猶予期間をもらうか、この2つしかない。同じ地獄を経験した人ならわかる話だけど、手形はジャンプしてもらう、金融には支払いを延期してもらう、もうこれしかないわけです」



 大山は「今までのままではダメになってしまうから、商売を変える。それまで猶予期間がほしい」と金融機関や取引先に頭を下げて回った。大山の若さを評価してくれたからか、金融機関も取引先も今一度のチャンスを与えてくれた。

 「中小企業の経営者として一番大事なことは、やはり企業をいかに長く存続させるか。大きくなることや知名度が上がることよりも、世の中の変化にしっかりと対応し、存続できる、そういう経営に入るべきだと考えました」。このときの経験が大山に、同社の経営理念でもある「いかなる時代環境においても利益の出せる仕組みを確立する」という決意を刻み込んだ。









「メーカーベンダー」という新業態への脱皮

 大山は考えた。「供給者論理で物事を考えると、売り手市場のときはいいけれども、物余りになって買い手市場になると、買い手のニーズ優先の世界になる。その先にも、エンドユーザーであるお客様に対して売り込む競合があるから、市場経済がある。だから、過当競争の中でなかなか利益がとれない。どうすればいいか悩んだ末、『小さくても競争の少ないマーケットのオンリーワンでナンバーワンになろう!』と」

 今でこそ「ニッチ」「ブルーオーシャン」などと称されるのだろうが、大山がこの戦略に気づいたのは30年以上前だった。「そのためには、自らが需要を創造するしかない。売り上げが半分になってもいいから、自分の強みを生かして収益がとれるビジネスは何か」



 32歳の大山は、日本全国のありとあらゆる会社を調べ始めた。「帝国データバンクの企業情報を数百万で買いました。あの耳のついた、プリントアウトしたやつを机の上に置いて、鉱工業から始まって金融サービスまで、日本の全業種、数十万社のデータをだぁーっと見ていった。『我々の強みが生かせる業種は何なんだろう?』と」。基準は「勝てるビジネス」つまり「自社の強みが生きて、収益性があって、将来性があるか」ということ。絞り込んでいくなかで、「園芸」というカテゴリーが浮上した。「たまたま『園芸』を選んだわけではない。必然なんです。世の中、偶然も大事だけど、下地に必然性があったなかでの偶然性を持たないと。偶然性を期待したんでは、やっぱり、確率は非常に低くなりますから」

 大山が「園芸」に目を付けた理由は他にもあった。関西に、この市場で十数%という高い利益率を出す会社がすでにあったのだ。「商売ではよく言われる話でね。『金持ちと喧嘩せい』と。なんぼ大きい会社でも、儲けてると脇が甘いですから。赤字の会社と喧嘩したら共倒れになる。だから、まず相手が儲けているかどうか」

 しかし、いくら儲かる市場だろうと、競合の脇が甘くなっていようと、同じことをするだけなら、先行者に勝てるはずもなかった。「人間にとっては、プラスチック鉢の方が軽くて安くてコケも生えないのでいいですよ。だけど、植物にしてみれば、地中に近い保水性、通気性のある素焼き鉢の方がいい。当社が扱う前にもプラスチックの鉢は世の中にあった。けれど、根腐れせず、素焼き鉢に負けないかたちで植物が育つプラスチックのプランターはなかった。僕は常々『ユーザーイン』という言葉を使っているでしょ? 『人間にとって便利』じゃなくて『プランターの本当のユーザーである植物にとって便利』というキーワードに変え、育苗箱で培った技術を生かすことで、業界を変革したんです」


全国8工場で計20万パレットと、国内最大級の保管能力を誇る自動倉庫。コンピューターからの出荷指示で自動的に取り出され、搬送ロボットによってトラックが横付けされた配送出口まで運ばれる。




 大山の変革は流通分野にも及んだ。「マーケットが小さいということは流通がない。デパートの屋上の通路とか、種や肥料を売っている農家向けの店しかなかった。そんなところに行っても置き場がないから、ホームセンターに目をつけたんです」。「まず需要創造して、その次に市場創造した」と語るように、自社で開発・製造し、直接ホームセンターに納品したこのプランターが大ヒットし、80年代の園芸ブームを呼び起こした。

 やがて取引額は問屋を上回るほどの規模に膨らみ、同社はメーカーでありながら、物流機能を併せ持つ「メーカーベンダー」として、他に類をみない独自の道を歩み始める。設計から製造、保管、配送まで自社で一貫して行うこの方式は、外注コストや流通マージンを大幅にカットできるだけでなく、需要の増減や消費者のニーズに素早く反応できるのも特長。「選択と集中」の真逆をいきながら10%近い営業利益率を確保できるのも、この基盤があってこそだ。こうして同社はプラスチック製造業という「業種の枠」にとらわれることなく、生活者のニーズに応じてさまざまな素材や技術を組み合わせることで、ペットフード、電気製品、LED照明など、事業領域を広げていった。



「課題解決の最強ツール」としての新商品開発会議


研究開発、品質管理など中枢機能を担う角田I.T.P(インダストリアル・テクノ・パーク)が大山社長のホームベース。敷地面積は34万平方メートルに及ぶ。




 2013年6月某日。宮城県角田市にある、アイリスオーヤマの本部機能が集まる角田工場に隣接した社屋の一角。50名近い社員で埋め尽くされた会議室は、緊張感と熱気で満たされていた。

 「下期やろ、通期は?」。大山社長の質問が飛んだ。プレゼンしていた社員は慌てて資料を探し始める。デスクは半円の階段状に並び、一番低い位置にある最前列の中央に大山が陣取っている。彼の左右には、商品開発部の責任者である常務、営業本部長、グループ会社社長である専務らが居並ぶ。その後ろには、新商品をプレゼンする部署の関係者が、固唾を飲んで会議の進行を見つめていた。

 「商品実績、見せてみ!」。再び大山が口を開くと、プロジェクターのそばにいた社員が瞬時に表をスクリーンに映し出す。縦軸には商品名が並び、その横には、納入店舗数、納入店舗売上高、前年比、年初計画、粗利率などのデータがびっしりと並んでいる。中でも役立つのは、取引先から日曜の閉店後にアイリスオーヤマ本社に伝えられる補充のオーダーだ。その数字はほぼそのまま、納入店の1週間の店頭売り上げ、すなわち、現場の売上動向の最新値となる。

 びっしり並んだ数字の上を大山の手元のレーザーポインターから発せられた赤い点がめまぐるしく動く。「どれが何番か、説明して」と求められたプレゼンターが、表の中の1つの数字をポインターで差しながら説明すると、大山は「ハイ・アンド・ローやんな? 真ん中はどうでもええ。こんなバカな値段つけて・・・」とつぶやいた後、淡々とした口調で「値段、変えるんやな」と一刀両断した。


1つの議題は長くても10分までが原則。担当者は要点を絞って発表し、大山社長の仕切りでテンポよく処理されていく。




 毎週月曜日、朝10時から夕方5時過ぎまで行われる新商品開発会議での、「照明・家電事業部」のプレゼンテーションにおける一幕だ。1回の会議で60~70の案件が提案・検討され、そこから年間およそ1000にものぼるアイテムが世に送り出されている。この会議自体が、大山にとっての「課題解決の最強ツール」と言える。

 新商品開発会議によって解決される課題は3つある。「縦割りの弊害打破」「組織の活性化」「事業のスピード化」だ。






ヒット商品の量産を可能にする「超スピード経営」

 アイリスオーヤマの新商品開発会議には、開発、製造、営業、広報など新商品に関わる部署のリーダーが参加する。彼らは、企画主旨、技術解説、原材料費や製造コスト、納入店舗数や類似品の売り上げ実績、果ては販促用のやぐらの原価まで、具体的な数値データも交えながらの議論を目の当たりにする。そのため、製品の上流から下流までのすべての行程について、自然と理解を深めることになる。

 実は、新商品開発会議が生まれた理由もまた、当時の課題解決にあった。大山は、この会議が誕生した30年前をこう振り返った。「それまでアイデア出し、図面起こしなど、1人5役くらいやっていた。それでは追いつかないということで、あるプランターの新製品開発の際、デザイン系の社員を採用した。デザイナーはデザインできるけれど、ものづくりの知識はない。マンツーマンで教えたけど、今度は『営業の知識もなければいけない』ということで、結局、ミーティングルームにデザイナーと製造系、営業系、開発系、私が一緒になって、4、5人でプレゼンした。それが新商品開発会議の始まりです」


鋭い質問や指摘が飛び交うなか、大山社長は時折、茶目っ気たっぷりな冗句で笑いも誘っていた。




 やがてこの会議は、アイリスオーヤマの経営の強みの支柱となっていく。「プレゼンというのは『相手を説得するための技術』と思われがちですが、目的は『情報の共有』なんです。開発するときには、いくらで売れるか、どこに売るかがわからないとダメだし、いくらでつくれるか、どうやって安くつくるかがわからないとダメ。だから、みんなが一緒になって議論する。それがどんどん広がって、会社の組織が大きくなったぶん、50人、60人になっとるだけの話なんです」

 2つめの「組織の活性化」という課題は「責任の所在を明確にすること」で解決される。大山は、朝から夕方まで続けられる会議のすべてに参加する。次から次へとくり出されるプレゼンに対して、その場で決済するためだ。

 厳しい議論が交わされた後、発売すべきと判断された場合、大山がその場でゴーサインを出す。そうすることで、たとえその新商品が失敗に終わったとしても、責任はプレゼンターではなく、大山が負うべきものとなる。責任の所在が大山にあることを明確化することで、誰もが新商品の企画にチャレンジできる環境が整い、組織が活性化するのである。

 3つめの「事業のスピード化」は、業種に関係なく、どの企業にも課せられた喫緊の課題と言える。しかし、アイリスオーヤマにとっては、さらに重大な意味を持つ課題だった。
 
 大山は言う。「成長するとか規模を拡大するのは、目的でなく手段です。あくまでも2つのポイント、1つは『すべての売り上げの中で新商品比率を5割以上にしよう』、もう1つは『利益は1割をとろう』という価値観のなかで、物事を動かしています」。「事業のスピード化」は、大山が掲げるこの2点の実現に必要不可欠だった。

 大山は会社を存続させる鍵は「時代の変化への対応」にあると考えた。そのためには、当然、投資が重要になる。しかし、デフレが続くなか、営業利益2~3%だと再投資などできない。そこで大山は営業利益率10%を目標に設定した。

 しかし、既存の商品には競合ライバルがいるため、価格の叩き合いになり、利益を出すのが難しい。新商品なら競争も少ないので、デフレの中でも10%の営業利益を維持できると大山は考えたのである。「園芸やペットの分野がそうですが、新商品をつくったときはうわーっと伸びても、やがて飽和点がくる。その後はいくら努力したって、市場は大きくならない。当社のような需要創造型のビジネスでは、常に生活者目線で物事を考えて、新しい成長分野に行かなければならないんです」


8つの工場はすべて物流センターとしても機能し、「1日配送圏」で日本全国を網羅している。(写真は角田工場)




 実際、同社の新商品(発売から3年以内の商品)の比率は2012年で56%と、売り上げの半分以上を占めている。この新商品比率の高さを実現しているのが、大山の「スピード経営」であり、そのスピードを支えているのが「新商品開発会議」なのである。

 会議には各部署のリーダーが参加している。よって、大山がゴーサインを出した瞬間、製造部門は金型の発注や生産ラインの構築、営業部門は小売店に対する営業回りの準備など、新商品に関わるすべての部門が一斉にプロジェクトをスタートさせる。この仕組みにより、ゴーサインがでてから発売まで最短3カ月というスピードで、新製品をリリースすることが可能になるのだ。






「消費者の課題解決」こそ永遠のビジネスチャンス


ホームセンターや家電量販店と錯覚するような豊富な品ぞろえで、店頭の陳列を再現したアイリスオーヤマのショールームにて。




 同社はこれまでも、絡みついたペットの毛が吸い取れるサイクロン掃除機、設置工事不要の2口IH調理器など家電製品を手がけてきたが、今期以降はいよいよ、洗濯機や冷蔵庫など大型の白物家電にも本格参入する。家電事業(法人向けLED照明を除く)の売上高は2012年12月期の165億円に対し、13年12月期は300億円と、ほぼ倍増させる計画だ。

 過当競争で疲弊した市場のどこに、商機を見出しているのか。「白物家電に本格的に打って出るというよりは、常々取り組んでいる生活のソリューションの延長線上に家電事業がある。基本はそれです。家電製品における不満や課題を発見して解決しましょうと。その意味で、高齢化が進み、3分の1が単身世帯という時代の流れのなかで、4~5人家族を前提にした品ぞろえで取りこぼされているニーズがあるはず」と大山はみる。

 「シェアは10%でいい。そうなると、10人に1人、買っていただける商品をつくればいいわけです。大手のメーカーさんは、10人に3人は買ってもらおうと思うから、万人受けする商品をつくる。そこを我々が補完すればいいんです」。成熟した耐久財市場にどれだけアイリス流の新風を送り込めるのかが、当面の業績のカギを握ることになりそうだ。


朝は角田工場周辺でジョギング、仕事帰りには工場敷地内のプールで泳ぐのが、67歳の大山社長の日課だ。




 「イノベーションがなけりゃ、ダメなんですよ。単なる思いつきで『人がやるから』でやったんでは、結局、過当競争の渦に入っちゃうんでね」。そう笑顔で語る大山に「課題解決に最も必要なこと」とは何か、聞いた。

 「常に本質が何かということを見極める、そこが大事だと思う。課題は、自分の課題じゃなくて、常に『お客様』の課題。『お客様』といっても2種類ある。得意先は取引のお客様でありますけど、自分のつくったサービスなり商品の『お客様』ではない。それはエンドユーザー。だから、常に『エンドユーザーにとって何がいいのか』を考えることが必要です」

 課題の本質を見極める――そこに大山健太郎の課題解決の極意をみた。






「ストロングポイント」を磨いて生かせ【一問一答】

――シャープやパナソニックなど、日本の大手電機メーカーが苦境に立たされている現状をどうみますか。

大山 結論から言うと、グローバルとM&A、この2つのキーワードに翻弄されてしまったんだろうと思います。家電製品は、日本基準で物事を考えるのではなく、グローバルでトップをとらなければいけない。テレビはアメリカやヨーロッパで売れなければいけない。しかし、日本とアメリカのニーズは違う。日本人は高くてもブランド優先。アメリカ人は機能と価格が優先。パナソニックやソニーのテレビでなければいけないなんてことは、いっさいない。安ければサムスンでいいよと。ただ単純に円高、円安の問題ではない。ものづくりの立ち位置が違うんですね。そこに、日本のものづくりがグローバルで勝てなかった理由があると思っています。

――ホームセンターに配した販売支援スタッフを通じて得た消費者の生の声を商品開発に生かしていますが、最終判断する立場の社長ご自身はどんな方法で情報収集されているのですか。

大山 お客様はいったい何に困っているんだろうか。そんなんは、お客様に聞かなくても、自分に聞けばいいんです。私は開発者に「生活者の代弁者になりなさい」と言っています。代弁者じゃないから、聞きに行かなきゃならないんですね。だから、自分の生活のなかで不満、不足を発見しましょうと。

――会社を経営していくうえで、何か課題があったとき、どんなふうに気づき、捉えればいいでしょうか。

大山 「経営者が一番悩んでいるのは資金」だとよく言われます。しかし、僕はその渦中に入ってしまうとダメだと思う。それよりも「なんで資金がうまくいかないんだ?」と考える。弱いから、つくったものが買ってもらえないからなんです。本当にお客様が求めるものであれば、お客様が先にお金を出してでも買ってくださる。無理して売るから長い手形でないとダメだと。それは得意先の手形が悪いんじゃない、商品に力がないからなんです。

――会社を存続させるために重要なことは。

大山 この100年、製鉄会社はずっと製鉄です。製薬会社は製薬で100年。道を極めるというのは、それはそれでいい。だけど、この市場経済のなかで生き残るためには、競争に勝たなきゃいかん。競争の基本は何かというと、相手より自分が強くなければならない。じゃあ、何が強いのか。大きいやつに力で勝てなければ、小回りで勝てばいい。小さいか大きいか、年が若いか社歴があるかにかかわらず、絶対に「ストロングポイント」がある。それが何かを見極めて、最大限生かすことを考えなければならない。そこがキーだと思います。

――会社を率いるリーダーとして、気をつけていることは。

大山 夢と志をごっちゃにしないこと。夢は所詮、願望なんです。夢がないよりあったほうがいいけれど、それは社長の夢であって、社員にはつながらない。志は文字通り「士の心」。この組織なり会社はこうあるべきだ、こういうことをやるんだ、という考えをちゃんと口に出して社員に伝え、共有してもらう。志がなければ、夢はいつまでたっても形になりませんから。

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