2014年4月8日火曜日

ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活


ニゴロブナを養殖し、昔ながらの「鮒ずし」を復活
都道府県滋賀県 年代40代 業種農林・水産


 株式会社飯魚(いお)
[ 代表取締役 ]
大島 正子 さん

琵琶湖の固有種ニゴロブナの鮒ずしを復活させたい一心で、素人でありながら養殖を始めた大島正子さん。農地で養殖池をつくる自然を模した養殖が成功し、地元企業に注目されて起業へと結びつきました。
起業したとき


仕事の経験
結婚
子ども
生かした していた いた


プロフィール

芸術大学卒業後、京都府でデザイン会社に勤務したが、農業を営んでいた父の死後、故郷の滋賀県へ戻り農業の後を継ぐ。農地にて採算の合うものづくりをと考え、1999年に琵琶湖の固有種ニゴロブナの養殖を始める。前例のない農地を活用した養殖池で、琵琶湖の自然に近い独自の養殖方法を研究。地方紙に掲載されたことをきっかけに地元企業の資金的後押しを得て、2007年に法人化。
起業年表
年齢西暦主な活動
37歳
1999年 京都府でデザイン会社に勤務していたが、父の死後、故郷の滋賀県へ家族と共に移住。農業を営む両親の後を継ぐ 
38歳 2000年 錦鯉、金魚、ニゴロブナ養殖実験開始 
41歳 2003年 鮒ずしの加工開始 
44歳 2006年 株式会社飯魚(いお)設立。代表取締役に就任 

起業ストーリー

養殖の経験がないからこそ、独自の方法が生まれた

環境省の絶滅危惧種のレッドリストにも掲載されている琵琶湖の固有種ニゴロブナ。その養殖を独自の方法で成功させた大島正子さんは、養殖に関してまったくの素人だったというから驚かされます。
大島さんは滋賀県で生まれ育ちましたが、芸術大学を卒業してからは京都府にあるデザイン会社で仕事をしていました。広告やパンフレット、カタログなどを制作する日々が一転したのは、滋賀県で農業を営んでいた父親が亡くなったのがきっかけでした。3年ほど京都と滋賀を行き来した後、思い切って実家の農業を継ぐことを決意します。しかし、農業で利益を得るのは並々ならぬことでした。そんなとき、錦鯉のバイヤーをしていた知人から、「これだけ土地があるのだから、錦鯉を養殖してはどうか」と言われます。新潟で休耕田を利用して錦鯉の養殖をしている事例を知り、さっそく減反で畑にしていた土地の半分の面積5,000平方メートルを使って、3つの養殖池をつくりました。「農業は見込みがなかったので、養殖ならひょっとしたらいけるかもしれないと思ったんですね。最初は錦鯉、金魚、ニゴロブナを3つの池で分けて養殖を始めました。元々琵琶湖を干拓して作った農地なので、琵琶湖の水を養殖池に引きました。でも錦鯉は琵琶湖の水では水温が高過ぎたようで、うまく模様が出ませんでした。金魚はあまりにも薄利。そこで、琵琶湖の固有種のニゴロブナに可能性が残りました」
試行錯誤の末の成功だったが、資金は底をついた

大島さんがニゴロブナの養殖に本腰を入れたのには、もうひとつ大きな理由がありました。それは、滋賀県の郷土の味「鮒ずし」への思いです。「この辺りでは、昔はどこの家でも鮒ずしを作っていました。それが、琵琶湖に外来種のブラックバスなどが増えて、原材料のニゴロブナが激減してしまったのです。稀少になった琵琶湖のニゴロブナは庶民の手には届きにくい値段です。京都に居た頃も実家に戻ると必ず鮒ずしを買って食べましたが、どれも原料のニゴロブナは輸入品や他県のもので、値段が高い割においしくありませんでした。どうしても昔食べた味を復活させたいと思うようになったのです」
その土地に合ったものを作る。つまり“適地適作”は、農業に従事していた頃から、大島さんにとっての理念でした。そしてここから戦いが始まります。実は、大島さんの養殖池は普通の養殖池とは違っていました。普通はコンクリートで造った池で、抗生物質などの薬品を使って養殖をしますが、大島さんの養殖池は、田んぼの土を掘って、そのまま土手にして池を造っています。「なるべく自然環境に近い条件を造りたかったのです。けれど前例がなかったので、自分で試行錯誤してやるしかなかった。使ったこともない重機を操作して土手を造りました。養殖の経験があれば、池はコンクリートで作るものと決まっています。今思えば、養殖の経験がないからこそできたんですね」
養殖についてはまったくの素人。まして水田の土を使った養殖池でニゴロブナを育てるデータはどこにもありません。「毎日何百匹と死んでしまって、死んだ稚魚を数えていました。けれど食べるものに薬を使うのは嫌だった。それは農業をやっていた時も同じでした」
できるだけ天然に近いニゴロブナを育てたかった大島さんは、琵琶湖の漁師にお願いして、天然のニゴロブナを入手することにもこだわりました。

そして5年目、「こうすれば成長する」ということがわかった瞬間が訪れます。「なかなか大きくなってくれなかった稚魚が、3年で鮒ずしにできるくらいの大きさ、20センチになりました。初めて自分で鮒ずしを作って近所に売りにまわったら、『おいしいからもっと欲しい』と言われたんです。でも、生産量が少なかったうえに、資金が底をついてしまったのです」
自己資金は使い果たし、ご主人からの援助や農地を売るなどして、すでに数千万円をつぎ込んでいました。「周囲の農家からは、田んぼや畑を売って何をやっているんだと思われていました。でも銀行にも行政にも組合にも行きましたが、前例がない事業にはどこも資金を援助してくれませんでした」
郷土の鮒ずしを復活させるために

途方に暮れていたとき、吉報が舞い込みます。地方紙に大島さんの取組みが紹介され、それを見た地元の滋賀建機株式会社の会長、蔭山孝夫さんが事業化を後押ししてくれることになったのです。琵琶湖の在来種を守り、郷土の味を復活させたいという大島さんの情熱に応えてくれたのでした。そして2006年7月7日に、資本金1,000万円で「株式会社飯魚(いお)」が誕生します。
5年かけて見つけた独自の養殖法は、それほどの価値を持っていたとも言えます。琵琶湖にならって、養殖池に茂みをつくり、他の生物も共存させ、自然産卵でふ化させました。こうして育ったニゴロブナを琵琶湖の沖島で暮らす老齢の漁師に頼んで、今では無形文化財となっている千枚通しを使う昔ながらの方法で内臓を取り除きます。さらに、大島さん自ら一匹一匹丁寧に加工作業を施し、10キロずつ樽に漬けます。5年前に15樽から始めて、2008年は200樽を漬け込みました。「今年は“人に教える”ということに力を入れます」と言う大島さん。2009年は300樽の生産を予定しています。

昔食べた懐かしい郷土の味は引っ張りだこですが、大島さんは今でも度々飛び込み営業をするそうです。「料理屋さんに飛び込んだりもします。それが意外な方向に広がったりするんです」
販路を拡大したいという原動力になっているのは、「県内だけでなく他県にも琵琶湖産の本物の鮒ずしの味を知って欲しい」という思いです。「お金儲けのためだけでは続けられません。何のためにやるのかという自分への問いかけ。創設者は理念と信念がないと絶対に継続できない」と大島さんは断言します。その信念は、滋賀の伝統食文化である鮒ずしを復活させること。「今、うちで年間3トンのニゴロブナを水揚げできますが、鮒ずしは県内で約200トンの需要があります。180トンは外から来ているフナが原料で、琵琶湖の漁獲量は約20トン。うちの技術を伝えて、琵琶湖周辺に新たな産業としてこの事業が拡大することを望みます」おいしい鮒ずしが庶民の味になる日は、思ったほど遠くないのかもしれません。

会社概要
会社(団体)名 株式会社飯魚(いお)
URL http://iofunaya.blog110.fc2.com
創業 2000年
設立 2006年7月7日
業務内容 ニゴロブナの養殖、鮒ずしの加工、販売


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ホーム -> 農業 -> 大島 正子




発明の名称 ニゴロブナ養殖法
発行国 日本国特許庁(JP)
公報種別 公開特許公報(A)
公開番号 特開2007-37518(P2007-37518A)
公開日 平成19年2月15日(2007.2.15)
出願番号 特願2005-244994(P2005-244994)
出願日 平成17年7月29日(2005.7.29)
代理人
発明者 大島 正子 / 大島 徹也
要約 課題
ふなずしの原材料となる天然のニゴロブナが絶滅に近くなり市場への安定供給ができなくなったので養殖を事業化し、生産していくことを課題とした。

解決手段
水田を造成し、野池をつくり、人工管理した飼育方法でニゴロブナを養殖し解決した。

特許請求の範囲
【請求項1】
水田を造成し、野池をつくり、人工管理した飼育方法で、ニゴロブナを養殖する方法。

発明の詳細な説明
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は水田を造成し、野池をつくり、人工管理した飼育方法でニゴロブナを養殖する方法である。
【背景技術】
【0002】
従来は天然のものを捕獲するしかなかった。
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
ふなずしの原材料となる天然のニゴロブナが絶滅に近くなり市場への安定供給ができなくなったので、養殖を事業化し、生産していくことを課題として研究した。
【課題を解決するための手段】
【0004】
請求項1の方法で養殖し、野池の面積を拡大していけばニゴロブナの安定供給ができ、ふなずしの伝統食文化を守っていける。
【発明実施の形態】
【0005】
水田の土を移動し、造成する方法なので、天然に近い状態の管理養殖ができる。
【発明の効果】
【0006】
農地の有効活用にもなり、農業の活性化にもつながり、農家の収益も増える。



2014年4月3日木曜日

馬路村・・・・柚子で売り上げ30億!?観光客も50倍に増えた村!!


柚子で売り上げ30億!?観光客も50倍に増えた村!!





高知の山奥に、元 気な村があります。それは「馬路村」です。馬路村はJRも国道もなく、昔は宅配便も来ない、四国山地の奥にある小さな山村です。人口約1200人の過疎山 村で1981年からゆず加工品の販売を始め、2005年に売り上げ30億円、年間観光客が村民の50倍まで成長しました。

柚子で、売り上げ30億円!

 高知の山奥に、元気な村があります。それは「馬路村」です。馬路村はJRも国道もなく、昔は宅配便もこない、四国山地の奥にある小さな山村です。 人口約1200人の過疎山村で1981年からゆず加工品の販売を始め、2005年に売り上げ30億円、年間観光客が村民の50倍まで成長しました。

  このように書いていると、順調に村おこしが進んでいるように思えますが、実際は苦難の連続でした。これらの、偉業を達成した立役者は東谷 望史氏(馬路村農協代表理事専務)で、約20年に渡って発揮された強いリーダーシップにより、村を引っ張ってきました。

 

人との出会いとアイデアで売れるきっかけ作り

 馬路村では、兼業農家が多いため、専業農家と違い手間をかけられないので、形がよい商品になる柚子がなかなかできなかったため、加工品にして販売 することにしました。そこで担当になったのが東谷氏です。しかし、販売してくれる先がないため、東谷氏は各 種イベントの催事場に参加することから「ゆずのしぼり汁」の販売をスタートしました。当時は、ほとんど売れず赤字の連続でした。そのなかで、馬路村出身者 であった神戸大丸の食品係長の努力により、通行量の多い場所で販売をすることができ、売れるきっかけとなりました。しかし、小さな村を知る人はまだまだ少 なく、全国の催事場を回る日々が続きました。東谷氏は自ら車に荷物を積み、高速道路を運転して運び、夜遅くまで売っていました。

 こうした努力を続けるうちに得たヒントが、通信販売というアイデアでした。そこでまずは、ダイレクトメールを始めてみることに。しかし、当時の馬 路村には宅配便がこなく、安芸市まで片道2時間かけて行き、送っていました。また、請求書には紅葉の葉を同封するなどして、顧客を取り込む 努力を続けました。

 
「ごっくん馬路村」

 そんななか、1987年はゆずが4年に一度の大豊作になり、ゆずの価格が下がってしまいました。馬路村農協も苦戦 苦闘。そこで、東谷氏は一般消費者に販売し、需要を拡大することにしました。東谷氏が苦悩の末、作り上げたのが100円で飲めるゆずドリンク「ごっくん馬 路村」です。しかし、小さい村のため、問屋やビンメーカーなどの協力をえることがないなか、周りの協力を得て製品開発を行い販売にこぎつけました。

  これが予想以上に売れ、5年後には何と400万本(年間)を販売するまでになりました。

 

 
 
 

「馬路村」ブランド化

 東谷氏の個人的努力によって、周囲が感化され、村と農協は協力して、「馬路村」のブランド化を図りました。
 ゆず加工商品に「馬路村」の 特徴を出すため、村の子供やお年寄り、山・川などの自然をパンフレットや情報誌で紹介して「馬路村をまるごと売り込む」(都会に向け、自然や田舎をテーマ にした情報を発信する)ことを、馬路村農業協同組合が中心となり開始しました。また、通販の請求書にDMを同封して、お客様の囲い込みに努力しました。

  この結果、柚子商品の知名度を利用して、各種事業の相乗効果により、6万人の観光人口を実現した。

 1.温泉施設、森林鉄道の復元、材木運搬に利用したインライン(水を動力にしたケーブルカー)の復元などの設備の整備
 2.村案内所「ま かいちょつて屋」、農産物販売所「ゆずの森」などの設置
 3.マラソン大会などのイベントの開催による馬路村訪問の機会の創出

 
ポイントは強いリーダーシップと周囲の協力

 今回の馬路村の例は、強いリーダーシップと、それを支える周囲の協力が実を結んだ例だと思います。赤字でも続けさせた馬路村農協理事 長の勇気、村として支援した村長、苦労と未知の分野に挑んだ農協職員仲間、暖かく見守り、影で協力した村民の皆さんがいたから、東谷氏が力を発揮できたと 考えられます。 
 
 
 

参考資料馬路村産業建設課
Tel: 08874-4-2111
http://www.inforyoma.or.jp/umaji/index.html 馬路村農業協同組合
Tel: 08874-4-2211
http://www.yuzu.or.jp/